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中小企業のための「介護離職防止」対策! 第15回 実際の「介護のある生活」事例②

~企業は「人」がいるから売上がある!をサポート~

著者:一般社団法人 日本顧問介護士協会 代表理事  石間 洋美

中小企業のための「介護離職防止」対策! 第15回 実際の「介護のある生活」事例②

介護は、直面しないと考えにくいものです。

しかし、何度もお伝えしているように、介護は突然始まり、いきなり始まった介護に戸惑い、精神的に追い詰められ、疲弊していきます。

そのとき、多くの方が「確認しておけば良かった」「準備しておけば良かった」「片付けておけば良かった」と、少なからず後悔することがあるのです。

今回は、4年間にわたり介護に関わった実体験を伝えさせていただきます。このお話をすることで、今はまだ身近に感じていない人でも、少しでも多くの方に自分事として捉えてもらい、今できる準備を意識していただきたいと思います。


4年間の介護実体験~祖父の介護開始から相談までの経緯~

【家族構成】

祖父、祖母、長男、長男の嫁、娘、息子の6人家族。
娘と息子は実家を離れ生活中。長男は県外へ単身赴任で2週間に1度帰省する。実質、祖父、祖母、長男の嫁の3人暮らしを約20年続けていた。

①突然介護が始まった

4年前の夜10時、祖父はトイレに行くため布団から起き上がった。

寝室からトイレまでの距離は約5メートルほどだが、その動線の間には台所がある。祖父はいつものように布団から起き上がり、トイレへ向かおうとしたが、途中でダイニングテーブルの椅子につまずき転倒。家中にものすごく大きな音が響き、2階で寝ていた長男の嫁が慌てて降りてきた。

転倒の際、ダイニングテーブルの角に左側頭部を強打したようで出血していた。呼びかけるも「うぅぅ」と反応するが言葉は出てこない。もちろん倒れたまま自力では動くことも起き上がることもできなかった。救急搬送し、外傷性クモ膜下出血と診断された。すぐに処置はしたものの、安静状態は続きほぼ1ヵ月急性期病院へ入院した。

その間、車椅子生活となり、軽度の認知症状も見られるようになった。


②在宅介護の選択

急性期病院退院後は、リハビリ目的のために回復期病院へ転院し、約3ヵ月間リハビリを行った。幸い、歩行器を使って歩けるようになったが、帰宅願望が強く家族は毎日のように呼び出され、入院生活を継続させることに苦労した。

リハビリの期間が終了し、歩行は不安定だがかろうじて杖歩行も可能となったため、自宅に戻し在宅介護をする選択をした。ちなみに、在宅介護になる可能性を考えて、念のためこのリハビリ病院入院中に介護申請の手続きは行っていた。


③壮絶な在宅介護

祖父は長年農業をしており、毎日欠かさず畑作業をしていた。

退院後は、その畑仕事をするつもりでいるようだが、入院生活ですっかり体力がなくなり3メートル歩くこともやっとだった。本人は、“入院前のように動ける”と思い込んでいる。しかし、現実には思うように体は動かず、10メートルも歩くこともできない。

家族は、一人で畑に行くことは危ないから、行くときは誰かが付き添うと何度も話をしても本人は納得がいかない様子。そんな日々を過ごしていると、本人はもどかしさに苛立ちを募らせる。その気持ちのやり場がなく、祖母と長男の嫁に強く当たり散らす。時には杖を振り回すこともあった。

特に近くにいる祖母は、その姿が恐怖となり精神的にふさぎ込んでしまった。長男の嫁が対応していたが、徐々に疲弊していく。


④ケアについて相談~デイサービス~

第三者のケアを受けることや、デイサービスなどのサービスを受けることに抵抗を示すと思っていたため介護サービスの利用は様子を見てからにしようと考えていたが、このままでは家族が介護疲れで倒れてしまうと思い、介護サービスを利用する決心をした。入院中に介護申請の手続きを行っており、「要介護3」の認定を受けていたため、すぐに担当してくれるケアマネジャーを探し、今後のケアについて相談した。

その結果、最初は通いのサービスであるデイサービスを半日から利用を開始し、徐々に1日過ごせるよう介護事業所へ慣れていく段取りをした。ゆくゆくは宿泊サービスのショートステイを利用できるようにしたいと考えていた。

しかし介護サービスの利用を開始した直後、案の定「こんなところにはいられない」と事業所を出て行こうとする行為が頻発した。他の利用者様もいるため「お一人につきっきりになることができない」と、ついに利用をお断りされた。


デイサービスから切り替え

①小規模多機能型居宅介護

次のデイサービスでも同じように帰宅願望が強かったが、途中で家族が迎えに行くことや、スタッフの方の協力もあり徐々に1日過ごせるようになった。半年くらいは週に2~3日デイサービスに行くようになったが、家族の休息時間が少なく疲れは取れない。そのため、通いのサービスだけを運営している事業所ではなく、通い(デイサービス)、訪問(ヘルパー)、宿泊(ショートステイ)を一体型で運営している「小規模多機能型居宅介護」へ切り替えることにした。事業所を切り替えるということは、また新たな環境に行くことであり、最初は抵抗を示し帰宅願望も非常に強かった。

しかし小規模多機能型居宅介護では、デイサービスの送迎スタッフ、日中ケアしてくれるスタッフ、自宅に訪問してくれるスタッフが同じ方なので、早い段階で顔なじみの関係を築くことができ、抵抗を示さなくなった。スタッフの方の協力や個別ケアのおかげで宿泊サービスのショートステイも利用することができるようになった。家族は体力的にも精神的にも休息する時間ができ、在宅介護生活を継続することができた。


②施設入居を選択

1年半程の在宅介護生活を送った頃、小規模多機能型居宅介護の宿泊サービスを利用中、転倒し入院を余儀なくされることとなった。体力も衰えている中であまり回復を見込むことができず、この入院生活を機にほぼ寝たきり生活となってしまった。

リクライニング式の車椅子に移ることがやっとの体では在宅生活は困難だと判断し、施設入居を選択することとなった。施設介護に入居することで経済的負担が増えたが、家族の肉体的負担と精神的負担は随分減った。そこから約3年の施設生活で、週に2回面会に行き、そこで会って話す生活となっていた。


③コロナ禍での介護の末

しかしコロナ禍となり面会制限が厳しく、会える回数は数えるほどになってしまった。

体力的にも限界を迎え、コロナ禍で最期を迎えることになった。最期は自宅に戻すこともできず施設で看取っていただいたが、このコロナ禍の環境、またその施設の対応に家族としては残念な思いや後悔などの思いが交差し複雑な心境だった。祖父にも寂しい思いをたくさんさせてしまったと思うと、どの選択が正解だったのかわからない。ただ、今は思うように動かせなかった体から解放され、安らかにいてくれることを信じている。


まとめ~介護への向き合い方~

介護には正解がありません。介護への向き合い方は人それぞれです。

「奥さんに任せられないの?」「介護はやっぱり家族でやるべき」「仕事を続けるなら施設に預けるしかないだろう」などの自分の価値観を押し付けることはNGとされています。

仕事と介護を両立する人が増えていく時代。経営者や管理職など上司に当たる方は、「介護」というものを勉強し、これからの時代の「働き方」を提供できるように意識していただけたらと思います。

「仕事と介護の両立支援」「介護離職防止対策」は、企業にとって必須の環境整備になっていく時代です。今のうちから準備を始めて、みなさんの企業が「介護があっても安心して働ける」企業になっていただきたいと思います。

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著者プロフィール

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石間 洋美

一般社団法人 日本顧問介護士協会 代表理事

子どもの頃から「人の役に立つ仕事がしたい」という想いを強く持っていて、高校生活のボランティア活動で福祉・介護の世界と出会う。福祉・介護に関わる仕事を目指したく、静岡福祉医療専門学校医療福祉情報科へ入学。卒業後は、介護施設にて様々な経験をする。その後、自身のスキルアップのために介護事務業務、相談業務、マネジメント業務、管理業務を行う。医療福祉接遇インストラクターの資格も取得し、お客様満足度向上のための研修講師も務める。介護の業界に携わり「誰にでも介護はある日突然やってくる」現実を目の当たりにしたとき、もっと多くの方の救いや力になりたいという想いがさらに強くなり、その想いを実現すべく、2020年4月に当協会を立ち上げ、現在は「介護で困る人と困る量を圧倒的に少なくする!」を目標に掲げ活動している。

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