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「持続可能な経営」(Sustainable Management)を目指して!―その⑤―

著者:高岡法科大学 教授  石川啓雅

「持続可能な経営」(Sustainable  Management)を目指して!―その⑤―


ポスト・コロナと中小企業の生産性

新型コロナウイルス感染症の世界的大流行が始まって、もうすぐ2年に迫ろうとしている。この災禍の後にいかなる世界がまっているのかをいまだ我々は知る由もないが、「大きく変わるだろう」とも言われるポストないしアフター・コロナの時代に向けての準備はしておかなければならない。それは収縮した経済をどう建て直すかから始まるが、その際、焦点の一つになると思われるのが「生産性」である。生産性の問題については、コロナ以前から、中小企業の経営に関わる問題として俎上にあがっており、かねてから議論になっているところである。中小企業は生産性が低いというのが中身であるが、コロナ下での「物語」として中小企業の取組や工夫、技術革新が盛んに取りあげられたこと、経営危機で廃業や倒産を余儀なくされた経営の多くが中小企業であったことから、中小企業の生産性を問う声がますます強まりそうな気配である。しかしながら、個別企業の話をいくら積上げても全体の話にはならないし、そもそも生産性と一口に言っても業種によって中身は大きく異なる。人によっては、生産性=イノベーション(技術革新)というように考えている人もいるし、社会的にもSDG(「持続可能な開発目標」)に象徴されるように、ただ引き上げればいいというわけでもなくなっている。そこで、今回は、来るべきステージに備えて、生産性の考え方を整理しておきたい。


生産性向上の中身は言うほど単純ではない!

一般的に、企業の経済活動に関する生産性の指標として、「付加価値生産性」が用いられる。それは、「労働者一人当たりの付加価値」だ。付加価値や労働者の範囲をどこまでにするかという計測上の技術的な問題や、生産する財・サービスの価格と生産に使用する原材料の価格の変動が含まれているという問題(投入産出の交易条件の問題)はこの際問わないことにして、この指標が意味するところを示すと、働いている人間がどれだけ新しい価値を生み出したかである。経営にとっては、この新しい価値、すなわち付加価値が収益の実体であり、この付加価値をもって経営管理を行っているところも少なくない。そこで、経営を単位としてこの付加価値の増減の要素を分解すると、労働者の増に起因する部分と付加価値生産性に起因する部分に分解される。

経営としての付加価値=労働者数×労働者一人当たりの付加価値

したがって、労働者の増加に対して、労働者一人当たりの付加価値の増加が伸びれば、経営としての付加価値あるいは収益の増は、「生産性の上昇」に因るということになる。しかしながら、生産性の伸びは必ずしも、効率が上がったことを意味しない。というのは、同じ生産性の上昇であっても、管理の改善や技術知識の向上による場合と設備装置の向上によってもたらされる場合とではその中身が異なるからだ。後者の場合、設備装置の導入による効率の改善は労働者が使えるハードが増えた結果、従前より少ない人数や時間でより多くの成果を生み出すことができるようになったというだけの話であり、労働時間なり労働力の投入が設備装置の投入に置き換わっただけにすぎない。したがって、付加価値生産性は上がっているけれども、設備装置のためにおカネを投じているので「有形固定資産当たりの付加価値」、すなわち資産効率は下がっている可能性がある。つまり、施設設備の利用効率という面では逆に低下している可能性さえある。管理の改善や技術知識の向上はどうか。これらはハードの導入によるものではなく、ソフトな方法による改善である。管理の改善とは労働力を含むすべての経営資源に対して、過剰な負荷をかけることなく効率的に稼働するように状況を把握して、適切な配置や利用の指示を出したり、出された指示が確実に実施できるようにすることであり、技術知識の向上というのはイノベーション(技術革新)に通じる取組にほかならない。

このように考えると、一口に生産性向上といっても、ただ単に「一人当たりの数字」を引き上げればいいという問題ではないことがわかってくる。


生産性向上のポイント―資源の動員と利用の区別―

人の確保がますます難しくなるなかで、大手企業のように大量採用などできない中小企業の場合、人を採用できたとしても、そもそも人数が少ないので既存の組織や体制を前提に仕事をしていかなければならない。それ故、好むと好まざるとにかかわらず意識せざるを得ないのだが、以上の話を踏まえて、ポイントをひとつ示しておこう。

経営資源の動員と効率的利用は別である!

実はこのことが意外と理解されていない。

そんなのは当然ではないかと言われそうだが、区別されていないことが多い。その理由がないわけではない。例えば、経営資源の効率的利用という観点から言えば、技能や知識のある人間を集中的に活用すべきだということになる。しかしながら、この路線は特定の経営資源を集中的に動員し投下することと同じである。結果、どうなるのかというと、効率的利用と称して集中投下される人間が行う業務の前提条件は改善されていないわけだから、次第に効率が落ち、消耗が目立つようになる。成果も上がらない。ここからわかることは、資源の効率的利用という時の「効率」の中身が全然ちがうということである。技能や知識のある人間を有効に活用するべきだというとき、その議論は往々にして「経営資源の配分・配置に関する話」であり、「どう利用するかの話」が欠如しがちである。ここが意外と盲点になっている。生産性が「選択と集中」のような「競争力」の議論(競争戦略の議論)とセットになっていることにも一因がある。


中小企業とサービス業における生産性向上の方向性

日本の企業では資源総動員型の対応を行うような側面が少なからずある。かつてのように「社員一丸」みたいなものはかなり少なくなったが、上記のような効率利用が結果として総動員にとなってしまうケースは少なくないだろう。人手不足の中小企業、特に地方ほどその傾向が強くなるのではないかと筆者はみている。業種でいえば、サービス業ほど多いのではなかろうか?というのは、製造業と異なり、設備装置の導入がサービスの量的拡大や質向上に直結するような業種ではないからである。故に、どちらかといえば、管理の改善や技術知識の向上による改善が求められる。したがって、中小企業とサービス業においては、なおさら「経営資源の動員と効率的利用の区別」が求められる。

しかしながら、管理の改善や技術知識の向上による改善の方法は目に見えない。事前に正解があるものでもない。故に、これをどう実現していくかは、人にかかっている。状況を適切に把握して、効率性と負担のバランスをみながら適切な指示を出せる人、出された指示の意味を理解し確実に実施できる人、そして「失敗を厭わない人」がいてこそ意味をもつ。その意味では、生産性の向上は、最終的には、当該企業の文化や人的投資にかかっているといえよう。そのような文化や人的投資なしには生産性向上はないことを付言しておきたい。

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著者プロフィール

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石川啓雅

高岡法科大学 教授

岐阜大学大学院連合農学研究科修了。建設コンサルタント会社勤務を経て大学教員へ。専門は経済学。中小酒造業を中心に地域産業の活性化に関する研究を行っている。

著書に、「ワークショップ・エコノミーの経済学―小規模酒造業の経営分析―」高岡法科大学紀要32号(2021年)、「現代地方中小酒造業における生産・労働に関するモノグラフ―ワークショップ・エコノミー論序説―」高岡法学39号(2020年)等。

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