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文章スキルを磨くシリーズ 第2回 言葉は世につれ①

文章スキルを磨くシリーズ 第2回 言葉は世につれ①

ビジネスでも私生活でも、読みやすく分かりやすい文章を書きたいものですね。

この連載では、昨日より少しだけ文筆を上達させるスキルや、日本語の豆知識をお伝えします。

言葉は時代とともに移り変わっていく、いわば生き物のようなものです。

今回は、1970年ごろから2000年ごろまでの言葉の変遷を見てみましょう。


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最初はグー

1969年から1985年まで16年にわたり、TBS系列で『8時だョ!全員集合』というテレビ番組が放映されました。

ザ・ドリフターズの、いかりや長介さん、加藤茶さん、志村けんさんなどが出演し、コントやズッコケ、派手な舞台装置で沸かせるバラエティとして、最高視聴率は50%を超えました。社会現象とも呼べるほどの人気ぶりで、当時の小学生はこれを見なければクラスの話題についていけなかったほどです。

そしてこの番組から、ギャグや流行語がいくつも生まれました。

今では大人も子どもも、じゃんけんをする時に「最初はグー」から始めますが、もとはこの番組で志村さんが広めた合言葉でした。

童謡『七つの子』の歌詞をもじった「カラスなぜ鳴くのカラスの勝手でしょ」は、大いに物議を醸しました。

このように、この番組にはずいぶん批判も寄せられました。1978年には日本PTA全国協議会が「低俗番組を野放しにできない」として、テレビ局やスポンサーに放送中止を求め、チャンネルの切り替え運動やスポンサー商品の不買運動までちらつかせました。それでも、視聴率はびくともしなかったということです。


思い出たち/小鳥たち

「たち」という複数を示す言葉は、以前は「私たち」「仲間たち」というように、人間にしか用いませんでした。

しかし、これを無生物にも使うようになったのは、1980年代ごろからです。

松本隆さん作詞、呉田軽穂(松任谷由実)さん作曲、松田聖子さんが歌った『瞳はダイアモンド』には、「雨の矢たち」という歌詞が出てきます。この曲がリリースされたのは1983年のことでした。

聖子さんの楽曲には「たち」がよく使われ、『あなたに逢いたくて』には「思い出たち」、『ガラスの林檎』には「林檎たち」の言葉が見られます。

小椋佳さんが作詞作曲し、美空ひばりさんの歌唱で大ヒットした『愛燦燦(あいさんさん)』には、「過去達」「未来達」という詞があります。この曲の発売は1986年です。

当初は、言葉の達人である松本さんや小椋さんだからこその文学的な表現だと受け止められていました。しかし、こういった「無生物複数形」は、時を経て今ではすっかり市民権を得ています。

さらに、「犬たち」「小鳥たち」のような「動物複数形」も、いつの間にか定着しました。

かつては人間以外のものを複数で呼ぶ場合、「~ら」「~ども」という表現しかありませんでした。これらはやや侮蔑のニュアンスを含むため、より丁寧な「~たち」という表現が生まれたものと考えられます。


やばい

若者の間で「やばい」という言葉が流行したのも、1980年代のことでした。

当時の若者だった現在の中年層は、これを悪い意味でのみ使います。しかし親の世代には「下品な言葉を使うな」と叱られていました。当時の親世代だった現在の年配者は、今でもこの言葉を不快に感じる人も多く、あまり口にしないようです。

現在の若者は、この言葉を良い意味と悪い意味で使い分けています。

「コンサートが楽しみすぎてやばい」なら、良い意味だと分かります。「テキストの量が多すぎてやばい」なら、悪い意味で使っているのでしょう。「やばうまい」は、「とても美味しい」という誉め言葉ですね。

単に「ちょ~やばい」「まじやばい」などは、前後の文脈や場の空気を読まないと判断できません。

ところで、「やばい」という言葉は、意外にも江戸時代から存在しました。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』に「やばなこと」という表現があります。「やば」は「矢場(射的場)」または「厄場(牢獄)」と書き、「不都合な状況」を指す隠語だったのだとか。

全然OK

「全然いいところがない」「そんな心配は全然不要だ」など、「全然」は全面的な否定を表す言葉として使われてきました。

しかし1980年代ごろから、肯定的な言葉を伴う「全然OK」「その服、全然かわいいよ」といった表現が登場するようになりました。

実は、「『全然』の下には否定語のみが来る」というのは、戦後に広まった解釈だそうです。歴史的に見ると、「全然」は漢文の言葉を取り入れたもので、「全く然り(まったくしかり)」という訓読みがそのまま当てはまるものでした。

戦前の文豪も、これを肯定表現として使っています。

  • 一体生徒が全然悪いです(夏目漱石『坊っちゃん』明治39年)
  • 全然自分の意志に支配されている(芥川龍之介『羅生門』大正4年)

こういった用例を踏まえ、「『すべて』『すっかり』の意味で肯定表現にも用いる」と辞書に追記されるようになったということです。

現在では、程度を強調する「とても」「非常に」の意味で、「全然いい」などの言葉がよく聞かれます。

また、否定的な状況や懸念を覆し、「全く問題なく」という意味でも用いられています。「大丈夫?」と聞かれて「全然平気!」と答えるのが、その一例です。

さらに、2つのものを比較して「こっちのほうが全然いい」「さっきより全然良くなった」という用法も見られますが、これはおそらく「断然」との類似から広まったものでしょう。

これらの使い方はかなり定着したとはいえ、「肯定的な表現は誤用だ」という意識は現在でも強く残っています。うっかり口にすると「言葉を知らない人」という印象を持たれかねないため、ビジネスシーンや目上の人との会話には使用しないほうが無難でしょう。


最大化/立ち上げる

1990年代には、インターネットの普及とともに新語が爆発的に生まれました。

「最大化」「初期化」などは、当時は未知の言葉でした。しかし今ではパソコン用語の域にとどまらず、「市場価値を最大化する」といったように幅広く使われています。

また、当初はコンピュータを起動させることを指した「立ち上げる」も、現在では「会社を立ち上げる」「プロジェクトを立ち上げる」など「組織を開始する」という意味の一般用語になっています。

メールが普及してからは、「レスポンス」「リマインド」などの英語が、そのまま用いられるようになりました。ここから派生して、「レスがいい車」といった使い方も生まれました。


絵文字と顔文字

ケータイの絵文字は日本発祥で、NTTドコモがiモードに176種類のデザインを搭載したのは1999年のことでした。それが、こちらです。

▲iモードに最初に搭載された絵文字 (ニューヨーク近代美術館収蔵)

現在の絵文字とはかなり雰囲気が違い、画素数の制限からこのようにシンプルなものでした。

しかし、それまでになかった便利な「新文字」として、あっという間に日本中で使われるようになりました。友人や家族とのやり取りに絵文字を添えることで、楽しいムードを醸し出したり、ノリやリズムを演出したりすることができる点が、幅広く好まれた理由でしょう。また、色彩を加えたり句読点代わりに用いたりして、装飾的な機能も発揮しました。

こうして絵文字は、2000年代のケータイメールでのコミュニケーションを語る上で外せないアイテムになりました。

さらに、iPhoneに「emoji」として搭載されるようになると、絵文字は一気に世界中に広がりました。

また、絵文字や記号などの視覚的な要素とともに、顔文字も使われるようになりました。最初の絵文字よりも繊細なニュアンスを持ち、怒りや不満など言葉に出しにくい感情も表現できる顔文字は、パソコンでも変換することができるため、ビジネスパーソンにも歓迎されました。

▲よく使われる顔文字

2000年代の言葉の特徴については、回を改めて紹介します。

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bizocean編集部

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